■大館八幡神社

秋田県大館市八幡1

 

祭神:誉田別命、息長帯姫命

奉斎:稲荷大神

 
 大館八幡神社の脈流は常陸国(現:茨城県常陸太田市)にて佐竹五十四万石(佐竹義宣公時代)の流れを引く。佐竹家は清和源氏義光流をなす氏族。

  ※始祖第五十六代 清和天皇(貞観年代859~877)

 大館佐竹西家は源頼義の三男新羅三郎義光(八幡太郎義家の弟)の一族・佐竹氏五代秀義公の次男(兄が佐竹氏六代義重公)、佐竹義久公(兄が義行、南酒出)が常陸国那珂郡小場村(現:茨城県常陸大宮小場)に住し、その地名から「小場氏」を名乗ったのが始まり。

 戦において男系が途切れ、新たに小場義躬公を初代とする。

 

 大館八幡神社においては小場家、現佐竹西家の初代である小場義躬公が、正平十六年(1361)8月15日に佐竹家本城から小八幡社(現在の正八幡宮)を勧請したことから始まる。同年二月の初午の日、同じく本城から稲荷社を勧請したとの記録もある。

  ※この時期、若宮八幡宮はまだ鎌倉より勧請されていない。

 

 本殿二社(正八幡宮、若宮八幡宮)は大館城代四代佐竹義武公が貞享四年(1687)に建立。正八幡宮には万治元年(1658)建立の棟札も存在するため、どちらの年代が正しいかは調査が必要。

 

 平成二年三月十九日に国指定重要文化財に認定(文部科学省文科庁)

 桃山式の遺風をもった華美に走らぬ色彩がなされ、洗練された流造であり、二棟が軒をそろえて並ぶ配置、そして装飾に特徴がある。彫刻等の細部や各所に施された極彩色などに見るべきものがあり、形態も配色もよく、気品が全体に漂っており建築の質も高い。小規模であるが本格的な建築であり、秋田県内で十七世紀に遡る数少ない神社建築であり、東北地方の近世寺社建築を代表する遺構として価値が高い。

 

■正八幡宮

 天喜四年(1056)、源頼義が奥州出陣の途中、常陸熊野社にて石清水八幡宮を祀り戦勝を祈願し、応保元年(1161)佐竹氏初代昌義公が馬場八幡宮を造営し佐竹氏の守護神とした。現出の棟札には「天下泰平・国家豊饒」と記され、日本国の安泰を願い建立された。

 

大分県宇佐市鎮座 宇佐八幡宮 → 京都市男山鎮座 石清水八幡宮 →

常陸太田市 馬場八幡宮 → 常陸国 太田城 → 大館八幡神社(正八幡宮)

 

■若宮八幡宮

 応永年間(1400頃)佐竹氏十三代義人公が居城(舞鶴城)中に鎌倉の鶴岡八幡宮の御神霊を勧請し、同時に領内の稲荷大明神を遷座し、現若宮八幡宮に奉斎した。ただし、佐竹西家(旧小場家)がいつ氏神として奉祭したかは不明。現出の棟札には「城内安全・武運長栄」と記され、大館の安泰を願い建立された。

 現在では「若宮八幡宮」には一般的に仁徳天皇が奉斎されている神社が多いが、八幡宮本宮から迎えた新宮の意味の若宮もあり、この場合は応神天皇、神宮皇后が祀られている。

  

大分県宇佐市鎮座 宇佐八幡宮 → 京都市男山鎮座 石清水八幡宮 →

鎌倉市 鶴岡八幡宮 → 常陸国 若宮八幡宮 → 大館八幡神社(若宮八幡宮)

 

 大館八幡神社は歴代の大館城主が国家並びに大館の安泰を祈願するための神社であることが大館市史、常陸太田市史、大館市立図書館所蔵の真崎文庫からも数多く確認できる。

 

■八幡神

 大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮(宇佐八幡宮)を総本宮とする。伊勢神宮と並び二所宗廟として全国から尊崇を受けている。特に有名なのは鎌倉の鶴岡八幡宮。全国で一番多い神社は八幡神社であり、それは源頼朝が鎌倉幕府を開府した折に源氏の氏神として文武の守り神として鶴岡八幡宮を建立し、戦国の武将たちから厚く信仰を受けたことによる。学問は誉田別命(応神天皇)、武は息長帯比賣命に由来することが古事記から判る。

 特に戌年、亥年生まれの一代限りの守り本尊として崇め祀られている。戌は神功皇后が応神天皇の出産の時期を左右したことから、亥は応神天皇の敵を赤猪の群れが倒したことに由来する。

 

 

 
 

 

 

文献

佐竹西家大館城入城四〇五年記念平成二十七年例祭奉祭誌

 

 

 

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